アニメ作品に於けるルール

ウチの会社にいる演出家さん達と「ヱヴァ新劇場版」の話になり盛り上がっていた、そんなある日の事。
その中のベテラン演出家のMさんがこう切り出した。

「前から気になったんだけど、エヴァが出撃する射出口っておかしいよね。ゲンドウやミサトさんがいる指令所って、ジオフロントのほぼ中心部の地下にあるんでしょう?そして、そのすぐ近くにエヴァの射出口があるはずじゃん、本編を観てると。だとするなら、そのまま垂直にエヴァが発射すると、ジオフロントに出ちゃうよね。もし、第三新東京市に出るとするなら、相当迂回しなきゃいけないはずなのに。」

なるほど、僕みたいなリアルタイム世代にとって、散々っぱらエヴァに対する否定的発言を聞いてきたし、つまんない揚げ足取りにも辟易していたが、これはそうしたものとは一線を画した、あくまで作り物の齟齬に対する的確なツッコミに、思わず舌を巻いた。
“終盤の展開がどうのこうの”はウンザリする程聞いたが、こうした物言いは意外と少ない。

TVシリーズの第拾九話「男の戰い」を踏まえると、「発令所」のすぐ隣にエヴァ初号機の格納されている「第7ケージ」があり、そのすぐ近くに「射出口」がある事が判る。
勿論、射出口が地下施設内に何箇所も点在していても何ら不思議ではない、というか無数に張りめぐられているに違いない。
射出口の路線図が本編で幾度か登場し、若干迂回している描写もあるが、のちに「黒き月」がジオフロントの地下に眠っている事を考えただけでも、あの巨大な地下空間を迂回して地上の第三新東京市に出るには、些か描写不足だろう。垂直だけではなく、真横に発射している初号機の描写もあって良いハズである(画的に映えないが)。
ちなみに新劇場版に於いても(現時点では)、このリフト・オフ描写に変更はなかった。

つまり、こう考えるのが適当じゃないだろうか。
【エヴァが一旦、射出口に乗りリフト・オフすると、何処にでも出られる。】
極論だが、エヴァゲリオンの射出口は「どこでもドア」に等しい。
筆者の妄想だが、コンテ発注時に庵野監督は樋口真嗣さんや甚目喜一さん(佐藤順一さん)たちに「エヴァが射出口に入ったら、何処にでも出ちゃって良いんで。」なんて言ったに違いない。

今更云う事でもないが“EVAシリーズの身長が設定されていない”ように、この作品はある程度設定的に緩くしてある。これはつまり、1カット、1カット、画的に映えるように調整する、と云うと聞こえは良いが、乱暴に云うならば、都合良くエヴァの大きさを変えられる、と云う事である。
しかしながら、エヴァの身長設定、及び射出口の位置関係など、その整合性をガチガチに切り詰めたところで、お話が面白く訳でもないし、作り手サイドもその整合性が取れていない事の“粗”が目立つようには決して見せていないのだ。


こういった事は、様々なアニメ作品に個々に・独自に“ルール”として敷かれている。
では、下の図を見て頂きたい。
doors.jpg

筆者の落書きで申し訳ないが、それはさておき、以前こういう事があった(私事で恐縮でもある)。

別の部屋からキャラクター・Aが「ただいま〜」とカメラの置いてある部屋に元気よく入ってくるカットを、コンテマンが描いてきた。
それだけ聞くとなんて事はないが、美術設定で決められた、そのドアはカメラが置かれた部屋から見て外開きのドア(外開きの図参照)だったのだ。
つまり、設定とは違う、内開きのドア(内開きの図参照)をコンテマンはコンテで描いてきたのだ。
そもそもシナリオ上も「Aが元気に登場。」となっており、“元気に”を演出するには、必然的に内開きにした方が良いに違いはない。ドアを押してバーンと登場する方が気持ち良い。しかし、設定とは違う。
逆に外開きにしてしまうと、どうしてもAに対して後ろ向きな印象を受けてしまう。

「監督、美術設定と違うんですけど、どうしましょう?」と恐る恐る聞く、筆者。
「内開きで良いよ。話数内で統一されていれば。それに今後の話数でも、都合良くどっち開きか変えて良いんじゃない。」とその監督はサラっと云った。

既に放映済の他の話数では、当然設定の通り、外開きになっていたが、その話数は内開きになった。ただそうした場合でも、その同じ話数内で同じドアが外開きになったり、内開きになったり、明らかに観ている人が「?」とならない為にも、監督は「話数内で統一」と云ったのである。

内か外か、引き戸か、はたまた自動か。
ドアの開閉方法一つで、キャラクターの芝居が変わってくるのだ。(似た事例を挙げるなら冷蔵庫のどっち開きか、などもある)
ギャグ作品であれば、毎回ドアがどちら開きになろうと構わないが、ハードSFだと、ちと辛い。
作品のテイストがどちらかを選ぶ場合もある。
アニメーション制作の過程の中で、こうした局面はしばしば登場し、次第にその作品の“ルール”が出来あがってゆくのだ。
主にそうしたルールは監督が作り上げてゆくモノである。

もし、設定に忠実にする監督であれば、先程の例に挙げたドアの開き方は設定通りで、そのカットのコンテを切り直し、別の演出の仕方を模索しなければなかったであろう。
逆に、画面的・演出的なものを優先するフリーキーな監督も一方でいるのだ。
どちらが正しいという訳ではない。要は何を見せたいのか。
また、どういった見せ方がその作品にとって“都合が良い”のか。
時には設定も物理法則も無視して、フィクションとしての“都合の良さ”を最優先し、視聴者に嘘をつく行為。それは視聴者にとって“気持ち良い嘘”でなければならない。
アニメにおける“ハッタリ”とは、こういう事を差すのだ。


最後に、これを読んでくれた貴方へ。
スーパーアニメーター独特の作画回を「作画崩壊だ!」などと揚げ足を取るよりも、「ドアの開閉が違う!」などと整合性のホツレを見つけ、罵詈雑言を浴びせてみては如何だろうか。

2007年11月23日 アニメ トラックバック:0 コメント:11

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2007年11月27日 編集

質問
ちなみに外開きと内開きでは、
アニメーションさせるには、
どっちが楽ですか?。

追加質問
楽な方を選ぶってのは(監督やその他に)バレたりしますか?。

2007年11月27日 Tomi++(射手座) URL 編集

そうだよなぁって部分も多く楽しく読ませていただきました^^

ですが
明らかに作品に合ってないと思われたり
見てる人にこんな絵は嫌だって言われたら
しょうがない気もします。
作った側が「気持ち良い嘘でしょ?」と言っても
見てる側が「気持ち悪いよ?」って言ったらもう厳しい(汗

スーパーアニメーターだろうが有名だろうが
偉かろうが給料いっぱい稼いでようが
見てる人には関係ない
アニメ見てる人のほとんどは楽しければ
作画監督は誰だっていいってところではないでしょうか…

整合性は
オリンピックでしか野球見ない人にバントのすばらしさを伝えたり
W杯の時とか代表しかサッカー見ない人にゴールキーパーを語るようなものかと(汗
大事な事はそこには無いかも

長々とすいません
楽しかったのでつい(汗

2007年11月28日 通りすがりのののっち URL 編集

なるほど、勉強になりました。

あと、散々討論された話題ですか、整合性がなくて、絵柄が嫌いなら、好みじゃない絵とか、嫌いの一言ですむです。作画崩壊はただの侮辱です。なぜならそれらは作画崩壊じゃないです。例えるなら甘いもの嫌いな人が一流パティシェのケーキに対して「あんなもの、人間の食いもんじゃない」くらいの暴言です。

2007年11月28日 yuugao URL 編集

作画の崩壊も、神作画でのやり過ぎも、
整合性のホツレも、
全部同様なレベルでなじられてますよw
神作画の件が目立つのは、
神作画をヨイショする→反論が来る
というケースが恒常的に多いだけです。

2007年11月28日 URL 編集

エヴァのゲームでは、
射出の経路は逆アリの巣状態になっていて、
プレイヤーが最適な出口まで誘導させる、
っていう設定がありましたよ。

2007年11月28日 名無しさん URL 編集

演出ともとれない所でいつもと大幅に違う作画はやっぱり作画崩壊だと感じます
自分の審美眼では「キャラ表と違うけど単体としては合格点だからいい」とかはありません

エヴァの矛盾はぜんぜん気が回らなかったです
リフトオフ描写にはいつも痺れていたので嘘が上手く効いてたんでしょうね

2007年11月29日 VIPPERな名無しさん URL 編集

>ちなみに外開きと内開きでは、アニメーションさせるには、 どっちが楽ですか?。

カメラのアングル・画角に寄りますね。あとキャラの芝居自体にも。なので内か外では余り大差はないかと。

>エヴァのゲームでは、
>射出の経路は逆アリの巣状態

全くゲームはしない人間なので、初めて知りました。
だとするなら、分岐点が相当多いでしょうから、初号機は相当右往左往してないとダメですね(苦笑)


以下は、申し訳ありませんが、まとめてコメントさせて頂きます(返答になっていませんがあしからず)。

『気持ち良い嘘になっていれば良いな』と云うあくまで“希望”なんですよね。
(キレイ事みたいですが)どんな作品の制作サイドもお客さんの事を考えないで作ろうなんて思っていません。
ただ、結果論的にテクニカルに走ったカタチになってしまったりする。(技術論を振りかざすのみに終わってしまう、と云う事です。)
近年は番組や作品よりも商品として求められている側面が色濃く(この側面は受け手・作り手関係ありません)、どんなマイナー作品も(予算にもよりますが)DVD用に細かく直しを入れているくらいです(じゃあ本放送時には商品として欠陥品を放送してんのかよ、って話でもあります)。
こうした近年の傾向とは反するようなスーパーアニメーターの仕事を、作画崩壊と揶揄されるのも仕方ないと思っています。
動きを優先された作画より、キャラ表に忠実で版権イラスト的な作画の方が好まれるのも判ります。
あと単純ですが、「恒常的に多い」とコメントを頂いたように、整合性が取れていない事の構造的な欠陥よりも、作画崩壊の方が視覚的に判りやすい、という事も考えられます。

ですから、どうせ揶揄するならと、半ば皮肉的に整合性について「罵詈雑言してくれ。」と云ってみたつもりです。多分よほどの事がない限り、そうはならないんじゃないかと思いましたし、もっと素直に言えば、アニメを見る上での“別の視点”を今回提示してみたかった、と云うのが狙いです。

そういう意味でも、スーパーアニメーターの仕事に対しても、広い視野で、器を大きくして観て欲しいと自分としてはそう思いますが、お客さんに泣きついてもしょうがありませんし、結局のところ「お客さんが喜ばなければ負け」でしかありません。

それにしても、自分で文末に強調しておいてなんですが、今回作画崩壊問題に対する反響が多くて驚きました。しかし、これは本当に難しい問題ですね。。。

2007年11月29日 fuckui URL 編集

ドアの外開きは、日本とか靴を脱ぐ文化のトコのみで使われているので、けっこう気にして見ています。欧米が舞台で外開きだったりすると、ちょっと苦笑いするけど、気にしないようにしている視聴者です。
でも、イギリスが舞台で紅茶を飲むシーンがアップになる時に、ミルクティーじゃないのが許せない〜!!!です。
こだわる場所を、各個人で個性を持って抱えていると、面白い人生が送れるのではないでしょうか。同一化願望はシンドイです。

2007年12月05日 VIPPERな名無しさん URL 編集

絵柄と動画は別問題だと思いますが…。
どうもアニメーター擁護論として、「動画が本文なのだから絵柄が違う事に文句を言うな」という作り手の独り善がりなものが横行している気がします。
職人というのは自己満足を追求していればいいのですかね。

最後の所以外は非常に参考になりました。

2007年12月05日  とおりすがりの素人 URL 編集

作画の話が多いので「へぇ」と思いました。アニメを見ている人はいったい画面の何を見ているんでしょうか?整合性?作画?お話?
風が吹けば桶屋が儲かるというわけではないですが、スーパーアニメーターという人の仕事を批判したとき、自分達の好きなアニメ界全体の可能性をつぶしかねないように思いました。現場で評価されている人を批判してしまうと、現場の意気消沈は目に見えています。センスの違いといえばそれまでですが、アニメの出来ることがどんどん狭くなっていく。そんな感じがしてしまいます。

2008年02月03日 通りすがりの本屋 URL 編集












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